「肺活量を鍛えたら歌が上手くなる」って本当?

肺活量を鍛えたら歌が上手くなる。そう信じている人が、少なからず存在しています。
歌手の私からすると、なぜそんな迷信が信じられているの?と不思議に思います。
そもそも肺活量は、深呼吸をしたときに1回で吐き出せる息の量であって、男女差も大きいです。
訓練をしていない男性とプロの女性歌手を比較しても、肺活量は男性の方が多かったりするのです。
今回は、歌の業界になぜかはびこる肺活量信仰について書いていきます。

肺活量のトレーニングで音楽性は育たない

歌の上手さを肺活量で押し測ろうと知るのは不可能ですし、ナンセンスです。
歌が上手になりたくて肺活量を鍛えているなら、意味がないのでやめてください。
歌の上手さというのは、歌う人の音楽性や感性などの豊かな情操に左右されます。
身体能力である肺活量では測れないのです。
ではなぜ歌の業界でやたらと肺活量という言葉が目につくのか。
順番に解説していこうと思います。

肺活量は燃料タンクの大きさ

歌の燃料が息であるというお話は過去にもしました。(詳しく知りたい方はこちら

燃料である息を入れるタンクの大きさが、肺活量というわけです。
肺活量が多ければ、表現の幅が広がります。
ロングトーンや力強い声を出したいときにも役立ちます。
このような理由から、肺活量は鍛えるべきだ!という考えが生まれたのです。
しかし私は、この考えに待ったをかけます。
最も重視すべき、ブレスコントロールの概念が欠如しているからです。

息が続かないことを肺活量のせいにしない

どんなにたくさんの燃料があっても、制御できなければ意味がありません。
肺活量が多くても、使いこなす技術がなければないのと同じです。
息が続かないことを肺活量のせいにしていては、いつまでも歌は上達しません。
今ある自分の体の機能を、きちんと使いこなせていますか?
肺活量が少なくても、効率の良いブレスコントロールができる人はプロとして活躍しています。
コントロールすることができてこそ、肺活量を鍛える意味もあるのです。

可視化できるものに捕らわれない

人は可視化できる数値に弱いものです。
歌の上手さを数値化することはできませんが、肺活量はできます。
そこに肺活量信仰の危険が潜んでいるのです。
目に見えるものはわかりやすいので、達成感を感じやすいと思います。
肺活量が増えたことがわかれば、やる気も出るでしょう。
しかし肺活量が増えたからといって、歌が上手くなるわけではないのです。
もちろん、健康のためやスポーツのために肺活量を増やすトレーニングをすること自体は良いことです。
扱える息の総量が増えれば、それだけ表現の幅も増やすことができます。
問題はどのように扱うのかということです。

量より質を求めて

肺活量を増やすことに時間を費やすより、今の状態で扱える量の息をコントロールする方法を学ぶべきです。
正しい発声で歌っていれば、自然と肺活量は増えていきます。
私はそうやって肺の容量を増やしました。
たとえ肺活量に自信がなくても、自由にのびのびと歌うことは可能です。
そのためには自分の体と向き合いながら、無理せず声を出す方法を知る必要があります。
音楽は、量より質がものをいう世界です。
吐ける息がたくさんあっても、使える呼吸でなけれは意味がありません。
どんなに上等な食材があっても、扱える技術がなければ美味しい料理ができないように。
世界にひとつしかない素晴らしい声という楽器を、自分の手で輝かせてほしいと願っています。

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